第9章

棋士視点で学ぶ将棋AIの最先端 — 中村太地×たややん

第8章はやねうらお・たややん両氏の 開発者視点 でしたが、本章は プロ棋士・中村太地八段の YouTube チャンネルで、水匠開発者・たややん(杉村達也氏)と対談した動画を中核にします。 「棋士は AI をどう見ているか」「現役の研究者は AI でどう実戦を強くしているか」がよく分かる、生きた最前線の知識です。

この章の全体像

1

AIの2大分類

従来型(計算重視)DL系(局面理解重視)。それぞれ得意分野が違い、共存している。

2

新しい評価指標で見やすく

推定選択率実質勝率 — 「+200点」より直感的に強さを測れる新指標。

3

クローンAI — 棋風を学習

特定棋士の棋風を真似るAI。たった50局からスタイルを学習できる時代に。

💡 核心: 第8章が 「AIを作る側」 の話なら、本章は 「AIを使う側」「AIと対峙する側」 の話。 プロ棋士から見た AI の見え方、研究現場での実用、評価値の実感などが分かります。 将棋を指す人にとってのAI最先端です。

対談動画 — 棋士中村太地将棋はじめch

棋士・中村太地八段が、水匠開発者の たややん(杉村達也氏) をゲストに招き、将棋AIの最先端について対談した回。 棋士サイドから「AI を活用した研究」の実情と、AI 側から「最新トピック」が両方聞ける貴重なコラボです。

📺 中村太地×たややん 対談

YouTubeで開く ↗

1. 出演者紹介

中村太地八段
Taichi Nakamura — 棋士

日本将棋連盟所属のプロ棋士、A級経験。 第65期王座のタイトル経験あり。

YouTube:
  • 「棋士中村太地将棋はじめch」
  • 初心者〜有段者向けの分かりやすい解説
  • AIを活用した研究内容も発信
たややん(杉村達也氏)
Tatsuya Sugimura — 弁護士・水匠開発者

本業は弁護士でありながら、世界トップクラスの将棋AI 「水匠」 の開発者。

業績:
  • 第3回世界将棋AI電竜戦 優勝
  • 第8章のCEDEC2024講演でも登壇
  • YouTube「たややん / 将棋AI水匠」

2. AIの2大分類 — NNUE型 vs DL型

対談で最初に整理されたのが、現代の将棋AIの2大潮流。 これは 第2章「浅い vs 深い」第7章「将棋AIの3世代」 で何度も登場した話で、 棋士の側から見るとどう違って見えるか を確認できます。

系統 計算スタイル 得意 代表例
従来型(NNUE型) 大量の局面を高速に 計算重視 終盤の正確さ、詰み回避 水匠、Háo(やねうら王ベース)
DL系 少ない局面で 大局観・パターン認識 序盤の戦略、独創的な手 dlshogi、AlphaZero、棋神アナリティクス

棋士視点で言えば、「読みの深さで攻めるNNUE系」「直感の鋭さで攻めるDL系」。 人間の棋士に喩えると、「読みのタイプ」と「感覚派タイプ」みたいな違いです。

3. DL系の凄さ — 探索ゼロでも R2500

🤯 衝撃の事実

DLモデル(dlshogi系)は 「読まずに、ニューラルネットの直感だけ」 でも レーティング R2500 に達する。これは奨励会 6級レベル

通常、将棋AIは 1秒間に数万〜数百万局面 を読みます。これがαβ探索やMCTSの本質。 ところが、DLモデルから 探索を取っ払って「ネットが直感的に推した1手をそのまま指す」だけでも、奨励会員レベルの強さが出る。

🧠 概念の深掘り:これが意味すること(CNNの階層特徴とのつながり)(クリックで展開)

3.1 これが意味すること

  • パターン認識の威力:人間が「直感」と呼ぶものを、ネットがある程度再現できている
  • 第2章「特徴量の自動学習」の威力:局面のどこに注目すべきかをネットが自分で学んでいる
  • 探索なしでこの強さ = MCTS追加で世界トップに化ける余地がある

第5章「CNN」 で見た「階層的な特徴学習」が、まさに将棋盤面でも同じことが起きている。 浅い層が「駒の形」、深い層が「囲い」「攻め筋」を見ているはず。

4. 完全解析の困難さ — $90^{120}$ という数

対談での話:将棋を「完全に解く」(必勝法を見つける)には、すべての可能な局面を評価する必要がある。 その数は概算で:

$$90^{120} \approx 10^{117}$$

(1局面で平均90手の選択肢、120手程度の対局として)

🏔️ ビジュアル・イメージ:$10^{117}$ がどれだけ巨大か(宇宙との比較)(クリックで展開)

この数の意味

  • 観測可能な宇宙の原子数:約 $10^{80}$
  • 宇宙の年齢(秒換算):約 $4 \times 10^{17}$
  • $10^{117}$ は、これらすべてを遥かに超える

これは 第8章「必勝法は存在するか」 と同じ話。 理論的には必勝法が存在する(二人零和有限確定完全情報ゲームなので)が、 現実には宇宙の物理的限界を超える計算量が必要で到達不可能、という結論。

だから将棋AI研究は 「完全解析」ではなく「より強くする」 方向に進化を続けています。

5. 水匠 vs dlshogi — 得意・苦手の違い

たややん氏が興味深い指摘:

💡 水匠(NNUE型)は、dlshogi(DL系)の変則的な序盤に弱い

なぜか:水匠は プロ棋士の指し手を学習 しているので、人間が指さないような奇手・新手は 「想定外」になる。 一方、dlshogi は 自己対局で進化 するので、人間棋士が指さないような独創的な手を発見しやすい。

📊 補足図解:各AIの「棋風」テーブル(クリックで展開)

5.1 各AIの「棋風」

AI 棋風 苦手な対戦相手
水匠(NNUE型) 正統派、人間っぽい指し手 奇抜な序盤
dlshogi(DL系) 独創的、人間には考えにくい手も指す 長手数の終盤詰み

これも 第7章「2大潮流」 の具体例。 お互いの弱みを補完しているからこそ、両系統が共存しています。 ちなみに、棋士の研究では「水匠で序盤の安全な道を確認 → dlshogi で意外な手を探す」と 使い分け が定石。

6. 新しい評価指標 — 推定選択率 と 実質勝率

将棋ファンには馴染みの「+200」や「-450」のような評価値。 ただ、これは「絶対値の意味」が直感的に分かりにくい。 「+500」は勝ち確?それとも形勢有利程度? 解釈に経験が必要です。

そこで提案された新指標:

📊 推定選択率

その手を 強いAI(または強いプレイヤー)が選ぶ確率 を直接表示。 例:「この手の推定選択率は 78%」 → 8割方そう指す手、と直感的に分かる。

🎯 実質勝率

その局面の 勝率 を、評価値ではなく 0〜100% の確率 で表示。 例:「実質勝率 82%」 → 「この局面なら8割勝てる」と直感に響く。

📐 数学・補足:機械学習的に言えば(回帰 vs 分類)(クリックで展開)

機械学習的に言えば

  • 第6章 ChatGPT の「次のトークン確率」と同じ発想 — Softmax で確率分布化する
  • 従来の「centipawn 評価値」は 回帰の出力、推定選択率・実質勝率は 分類の出力に近い
  • 人間が直感的に理解できる出力形式に変換するのは、UX 上の進歩

棋士の研究効率にも直結する重要な進化です。

7. クローンAI — 棋士の棋風を真似るAI

対談で最も 未来的 な話題:

🌟 特定棋士の棋風を 真似るAI(クローン) を、たった 50局 から作れる時代に。

7.1 何が起きているか

通常の将棋AI(水匠、dlshogi)は 「最強の手」を指します。 しかし「藤井聡太風」「羽生善治風」のような、 特定の棋士の指し手のクセを真似るAI も作れる。

手順は:

  1. 対象棋士の棋譜を 50局程度 集める
  2. 強いAI(水匠など)をベースに、その棋譜で ファインチューニング する
  3. 結果:「この局面で対象棋士なら何を指すか」を予測するAIが完成
🧠 概念の深掘り:機械学習的な意味(転移学習+ファインチューニング)(クリックで展開)

7.2 機械学習的な意味

これは 転移学習(transfer learning) + ファインチューニング の典型例:

  • ベースモデル(水匠など)は 「将棋の一般知識」 を持っている — 第6章のLLMの事前学習 に相当
  • 50局の棋譜で 「対象棋士のスタイル」 を上書き学習 — LLM の SFT(Supervised Fine-Tuning) に相当
  • 少量データで個性化できるのは、ベースモデルが既に強いから(ChatGPTを少量データで「キャラクター化」できるのと同じ仕組み)
📚 コラム:棋界への影響(研究・解説・育成・倫理)(クリックで展開)

7.3 棋界への影響

  • 研究:対戦相手のクローンと事前に練習対局できる
  • 解説:「藤井さんならここで何を指すか?」を AIで瞬時に予測
  • 育成:師匠棋士のクローンと弟子が対局できる(亡き棋士のスタイルも再現可能)
  • 倫理:本人の同意なく作られたら…?という議論

これは将棋に限らず、あらゆる分野で同じことが起きうる未来。 プログラマのコーディングスタイル、画家の作風、作曲家の音楽——少量データで「個性のクローン」を作る技術は、もう存在しています。

まとめ

  1. AIの2大分類:NNUE型(計算重視) vs DL系(パターン認識)
  2. DL系は「読まなくても」R2500 — 直感だけで奨励会レベル
  3. 完全解析は不可能 — 必要な計算量が物理的限界を超える
  4. 水匠と dlshogi は得意分野が違う — 棋士は両方を使い分ける
  5. 新しい評価指標:推定選択率・実質勝率で直感的に分かりやすく
  6. クローンAI:50局から棋風を学習 — 転移学習 + ファインチューニングの実例

💡 第8章 vs 第9章 の違い: 第8章 CEDEC2024 は 「AIを作る側」のテックトーク。本第9章は 「AIを使う側・対峙する側」の対談。 両方を見ることで、将棋AIの 技術と運用の両面 が立体的に分かります。

参考リンク

これで全章完了!

お疲れ様でした。第1章から第9章まで、AI の基礎から将棋AI最前線まで、すべての概念が繋がりました。 機械学習・ディープラーニング・生成AI・将棋AI——もう全部、自分の言葉で説明できるはずです。

→ トップページに戻る