📖 書評

『将棋AIのゆくえ』松本博文 — 書評と要約

2026年3月発行、マイナビ出版。将棋ライターとして50年史を見続けてきた著者が、将棋AIの現在のトップランナー5人 に直接取材して書かれた決定版的1冊。 本サイト「将棋で学ぶAIガイド」とテーマが完全に重なるので、合わせて読むと相互補完的に理解が深まります。

本書について

タイトル将棋AIのゆくえ — 人間に追いつき、追い越したAIはどこへゆくのか?
著者松本博文(将棋ライター、日本将棋連盟元契約スタッフ)
出版社マイナビ出版
発行2026年3月
形式Kindle版(340ロケーション)+ 書籍版
取材協力やねうらお氏 / 杉村達也氏(水匠開発者) / 谷合廣紀五段(プロ棋士・東大卒) / 山岡忠夫氏(dlshogi開発者) / 大森悠平氏(氷彗開発者)
構成第1章「過去」 / 第2章「現在」 / 第3章「未来」 + 用語集(五十音順)
AmazonB0GSCRW1B8(Kindle版)

著者の松本博文氏は、将棋ライターとして約20年、ネット中継・写真撮影スタッフとしてWCSC(世界コンピュータ将棋選手権)に携わってきた人物。コンピュータ将棋の歴史を 現場で見続けてきた当事者 として、過去・現在・未来を時系列で整理した労作です。

📌 本書の核心 — 1行で言うと

「人間に追いつき、追い越したAIはどこへゆくのか?」 という問いに、50年史 + 開発者の生の声 + 最新の研究動向 の三層で答えた本。 本サイトが「技術の中身」を解説するのに対し、本書は 「人と歴史と最前線」 を語る。

本書から特に重要な3つの発見

🏆 ① 2026年現在の最強は「氷彗」

2024年・2025年の文部科学大臣杯・世界将棋AI電竜戦で2連覇。dlshogi、やねうら王、水匠などが上位で競合。 2015年のPonanzaと現在の氷彗が対戦すれば「100勝0敗」(レーティング差約1200点) という衝撃の証言。

♟ ② 「角換わりは先手必勝」がAIの結論

第3章収録の羽生善治九段と山岡忠夫氏(dlshogi)の対談より: AI同士の対戦では先手勝率が 7割近く。 人間同士は52〜53%にとどまるのに対し、AIは「もう先手にハンディをつけないと公平じゃない」レベル。 角換わりという主流戦型に至っては 後手番で勝つのが極めて困難 という結論が dlshogi により出されている。

🔄 ③ NNUE系がDL系から「知識蒸留」で強くなっている

大森氏(氷彗)と山岡氏(dlshogi)の対談で語られた最新トレンド: dlshogiの推論結果をNNUE系の教師データとして使う「知識蒸留」で、NNUEは2024→2025年でレーティング150点以上向上。 山岡氏「NNUE系で探索した棋譜よりも、なにも探索しないDL系の推論した結果のほうがいいというのはなかなかすごい面白い現象」と評価。

第1章 過去 — コンピュータ将棋の歴史

1974年の指将棋AI誕生から2018年のNNUE発明まで、約半世紀の歩みを年表的に記述。各時代のキーマンと事件を 当事者の証言 でつないでいくのが本書の大きな魅力。

主な節目(本書の記述に基づく)

出来事
1967詰将棋AIプログラム開発開始
1974指将棋AIプログラム開発開始
1985森田和郎「森田将棋」発表
1990年12月第1回コンピュータ将棋選手権開催(千駄ヶ谷将棋会館、6チーム参加、優勝:永世名人)
1996羽生善治、前人未到の七冠制覇。同年カスパロフ vs ディープ・ブルー対戦
1997カスパロフがディープ・ブルーに敗北(チェス)
1998やねうらお、フリーソフト「BM98」発表(100万DL)、BMSフォーマットが音ゲー業界標準に
2001「世界コンピュータ将棋選手権」(WCSC)に改称、GWに開催
2005Bonanza(保木邦仁)登場、機械学習による評価関数のブレイクスルー
2006BonanzaがWCSC優勝(保木代理で広沢一郎が操作、現名古屋市長)
2007年3月渡辺明竜王 vs Bonanza戦(渡辺が辛勝)
2009年1月Bonanza ソースコード公開 — エコシステム形成の起点
2010年10月あから2010 vs 清水市代女流王将(あから勝利)
2012〜電王戦開始、棋士 vs コンピュータの公式戦時代
2013Gikou がレーティング3713を記録 → コンピュータがプロ上限を突破
2014後半コンピュータ将棋がトップ棋士の棋力を超えた時期と推測される(篠田正人氏の見解)
2015やねうら王 GitHub公開(オープンソース化)
2017年3月佐藤天彦名人 vs Ponanza、Ponanza 2連勝
2017年5月elmo(瀧澤誠)がWCSC優勝、「elmo囲い」「elmo流」が将棋界に広まる
2017年12月羽生善治、永世七冠達成 → 国民栄誉賞
2017電王戦最終回。山本一成(Ponanza開発者)が引退発表
2018那須悠(Yu Nasu)氏がNNUE発表(tanuki-チーム所属)— 「ザ・エンド・オブ・ジェネシスT.N.K.evolution turbo type D」名で参加

本書ならではの内容

第2章 現在 — 進化する将棋AIとそれを取り巻く環境

本章は 取材インタビュー集 の趣。著者が2025年12月〜2026年1月に行った直撃インタビューの記録です。

主要な節(一部)

第2章ハイライト:知識蒸留の革命(2025年)

大森「2024年の電竜戦のときに作った(知識蒸留してない)モデルから、水匠10、つまりWCSC35(2025年5月)で出たモデル(知識蒸留したモデル)でレーティング150以上違う、と4月15日にTwitterで流した」
山岡「蒸留っていうのは基本、大きいモデルから小さいモデルを育てる。NNUE系で探索した棋譜よりも、なにも探索しないDL系の推論した結果のほうがいいというのはなかなかすごい面白い現象を発掘した」

意味するところ:dlshogiという「深いCNN・GPU・MCTS」の推論結果を、NNUEという「浅いMLP・CPU・α-β」の教師にすることで、両派の技術が相互補完的に強くなる。 これは dlshogiNNUE の二大潮流が 共存・相互利用 していく未来を示唆。

第3章 未来 — 将棋AIのゆくえ

本章が本書のタイトルに最も近い章。「将棋AIはどこへゆくのか」を様々な角度から考察します。

★将棋の強さに果てはあるのか

項目本書の証言
2017年Ponanza vs 2026年氷彗 「たぶん100勝0敗ぐらい」(大森氏)。レーティング差約1200点
人間トップ vs 2026年最強AI レーティング差1600〜1800点(藤井聡太R3300+ vs 氷彗R4914)
R400差の意味 勝率90%相当。R800差なら99%、R1200なら99.9%、R1600以上は「事実上絶望的」

★将棋の結論は? — 藤井聡太 × 羽生善治対談(NHK 2025年11月29日)

本書で個人的にもっとも印象的だったのが、この対談の引用部分。2025年11月29日に NHK で放映された「藤井聡太と羽生善治 対談 一手先の世界へ」 をベースに、著者がやねうらお氏・杉村達也氏・谷合廣紀五段(2025年12月)、山岡忠夫氏・大森悠平氏(2026年1月)の各開発者に追加取材して構成した節です。

NHK対談での主要なやり取り(2025年11月)

開発者陣の見解(2025年12月・2026年1月の取材)

引き分け派 vs 先手必勝派

含意:将棋というゲームに「先手必勝」という確率的結論が出始めていて、それが AI によって示されている。 一方で「最善の手順では引き分け」という見方も根強い。人類が400年以上指してきた将棋というゲームの「結論」が、AIの大量計算によって 2020年代後半に明らかになりつつある という、ある種の歴史的瞬間に私たちは立ち会っている。

★氷彗が最強の時代(2024〜2026年)

本書では 2025年 7月の象徴的な対局が紹介されています:

🏆 「水匠 vs 氷彗 超耐久81番勝負」(2025年7月、杉村YouTube登録者1万人記念)
結果:WCSCチャンピオンの 水匠が10勝、不参加だった氷彗が44勝、引き分け4回。氷彗が圧倒的

★知識蒸留 — 異なるアーキテクチャ同士が強め合う(2025年のブレイクスルー)

本書で最も技術的に深い議論が、「知識蒸留(knowledge distillation)」 による NNUE系の急成長。これがいま将棋AI界の最重要トレンドです。

大森・山岡対談から(2026年1月の取材)

本サイトの NNUE §6 損失関数 でも紹介:NNUE は元々「強い教師エンジンの探索評価値+実際の勝敗」を混合損失で学習する設計だったが、いまは 「DL系(dlshogi)の推論値」 を教師に使うことで、さらに強くなっている。

Transformer と将棋AI — 本書での扱いと、将棋AI界の現状

「Transformer(注意機構をベースとした、ChatGPT などで使われている深層学習アーキテクチャ)は、将棋AI ではどうなのか?」 これは本サイトの 第5章 §4「Transformer」 を読んだあとに自然と気になる問いです。

本書での Transformer の扱い — ほぼ言及なし

結論から言うと、『将棋AIのゆくえ』では Transformer は中心的トピックとして扱われていません。 第3章「未来」でも、未来予想の主な軸は 「将棋に結論はあるのか」 「氷彗 vs 水匠の勢力図」 「知識蒸留による NNUE系のさらなる強化」 であり、Transformer の導入による技術ブレイクスルーは(私が読んだ範囲では)議論の中心になっていません。

これは 偶然ではありません。2026年現在、将棋AIのトップエンジンはどれも NNUE系(浅いMLP)か dlshogi系(CNN + ResNet) であり、いずれも Transformer ベースではない からです。

将棋AIに Transformer が来ていない理由(一般論)

制約NNUE系dlshogi系Transformer系(仮想)
推論速度(1局面あたり) マイクロ秒(CPU + SIMD) ミリ秒(GPU) 遅い — 自己注意は O(n²) で局面サイズが大きいと重い
探索との相性 α-β で大量局面が読める MCTS で深く読める 推論が重く、大量読みも深い読みも両立しにくい
盤面表現との適合 HalfKP は専用設計 9×9×100 はCNNと相性◎ 盤面の局所性を活かしにくい
学習データ量 数億局面で足りる 自己対局で延々と作れる Transformer は大量データを要求 — 将棋では作りにくい

それでも Transformer が来る可能性 — 4つの研究方向

本書の議論の延長上で、私から見える 「Transformer が将棋AI に侵食する余地」 を整理すると:

① ハイブリッド型(CNN + Self-Attention)

dlshogi のResNetブロックの一部を Self-Attention 層 に置き換える試み。盤面の局所性は CNN で、長距離の駒の関係性(例:飛車の遠距離影響)は Attention で捉える。
※ チェスの LeelaChessZero(LC0)が一部このアプローチを試行。

② Transformer 純粋型(GPT で将棋を予測)

棋譜を 「指し手の系列」として Transformer に食わせる(GPT が文章を予測するのと同じ要領で「次の手」を予測)。 LLM(大規模言語モデル)の研究で 「Decision Transformer」 という、ゲームの最適手を予測する手法が存在。 ただし将棋では「探索なしで強くなるか」が課題。

③ 評価関数への Attention 導入(NNUE+α)

NNUE の HalfKP 特徴は「玉×他駒のペア」しか扱えないが、Self-Attention を1層挟むことで「全駒同士の関係性」を同時に評価できる可能性。 計算量は増えるが、量子化と SIMD で吸収できれば NNUE の利点(CPU高速)を保ったままできるかもしれない — 将棋AI界の次のフロンティア候補

④ 将棋専用 LLM(自然言語+棋譜の融合)

プロ棋士の対局解説や棋書を Transformer に学習させ、「なぜこの手か」を自然言語で説明する将棋AI。 指し手の強さは既存の NNUE/dlshogi に任せ、「解説」や「教育」 で Transformer が活躍する未来。

本書の取材で見える「Transformer なき将棋AI」の理由

本書を読むと、なぜ将棋AI界が Transformer に行かなかったかが見えてきます。 それは 「動いている目の前のシステム(NNUE/dlshogi)が、まだ進化の余地を残している」 から:

「Transformer に飛びつかなくても、まだ強くなれる余地がある」 — これが2026年時点での将棋AI界の正直な状況です。 ただし、上記4つの方向のどれかが 「ワン・アイデアでブレイクスルー」 を起こしたとき、将棋AI界はまた次のフェーズに進むでしょう。 本書はその「次のフェーズ」の手前で、現在地を記録した 貴重なスナップショット と言えます。

💡 もっと深く学びたい人へ: Transformer のアーキテクチャと Self-Attention の仕組みは、本サイトの 第5章 §4「Transformer」 で詳しく図解しています。 NNUE 側の HalfKP/HalfKAv2_hm については NNUE 詳細ページ §4、dlshogi 側の CNN+ResNet は dlshogi 詳細ページ をご覧ください。

登場する5人のキー開発者

本書の取材対象である5人について、本サイトの該当ページとの対応もまとめます。

人物役割本サイト対応
やねうらお氏 「やねうら王」開発者。日本将棋AI界のレジェンド。元BM98作者、ソフト会社経営、ブログで多くを発信 やねうら王 詳細
杉村達也氏 「水匠」開発者。やねうらおと同じく音ゲー(BM98)からの繋がり。WCSC2025で水匠が優勝 NNUE 詳細やねうら王 詳細
谷合廣紀五段 プロ棋士でありAI開発者。東大理I卒、第38期竜王戦決勝T進出。漫才コンビ「銀沙飛燕」 (本書独自の取材)
山岡忠夫氏 「dlshogi」開発者。AlphaZero型を日本に持ち込んだ。著書多数 dlshogi 詳細
大森悠平氏 「氷彗(ひょうすい)」開発者。2024・2025年世界将棋AI電竜戦2連覇 第8章 §5 最強ソフト

本書と本サイトは テーマは完全に重なるがアプローチが正反対 です。組み合わせて読むと立体的な理解が得られます。

本書『将棋AIのゆくえ』本サイト『将棋で学ぶAIガイド』
視点 歴史・人物・取材記録 技術・原理・実装
文体 ジャーナリズム(取材対談) 教科書(図解・SVG・インタラクティブデモ)
得意 「誰がいつ何をした」 「中身はどう動いている」
NNUE 第1章「NNUE関数とはなにか?」(やねうらおとの対談) NNUE 詳細ページ(HalfKP、差分更新、量子化、ClippedReLU を SVG で解説)
dlshogi 第2章 山岡忠夫氏取材、第3章 羽生対談 dlshogi 詳細ページ(深いCNN+ResNet+MCTSの仕組み)
やねうら王 第1章 やねうらお生涯記、第2章 NNUE対談 やねうら王 詳細ページ(α-β探索、LMR、Null Move、置換表)
実装 —(理論的解説はあるが実装コードはない) Mini NNUE Lab(5×5の盤で自分で動かして学ぶ)

💡 おすすめの読み方
① まず本サイトで 第1〜6章 の機械学習基礎を学ぶ → 第7章 でNNUE/dlshogiの仕組みを把握 → ② 本書を読んで「歴史と人」の文脈を補完 → ③ 本サイトの 詳細ページMini NNUE Lab で実装に潜る

読みどころ — おすすめポイント

👍 こんな人におすすめ

📌 印象的な引用(短く)

⚠️ こんな読み方は避けたい

まとめ — 「ゆくえ」を見届けるために

将棋AIは、2014年頃に人間を超え、2026年現在では 人間トップから1600点以上引き離した 別世界にいる。 それでも将棋というゲームと、棋士という職業はなくなっていない。 むしろ AIを研究ツールとして使いこなす新しい棋士像 が確立し、藤井聡太に代表されるAIネイティブ世代が活躍している。

本書の問い「追い越したAIはどこへゆくのか?」への答えは、おそらく 「人間とどう共存するか」 を模索する方向にある。 知識蒸留で異なるアーキテクチャ同士が相互に強くし合い、Transformer導入やNNUE+DLハイブリッドなど技術革新は続く。 その姿を、ジャーナリストの目を通して見届けるための1冊

💡 1行レビュー: 本サイトが 「将棋AIで AI を学ぶ」 なら、本書は 「将棋AIの歩みで現代史を読む」。 両者を読み合わせると、技術と人と歴史が立体的に繋がる。

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